舌側矯正 市ヶ谷の良い結果

1人のバウチャーが年間20万円だとすると、ある学校に入った人がそのバウチャーを納めれば、その学校が20万円を国、あるいは地方自治体から受け取る。
塾を選ところで、塾でも学校と認めるといった場合に一つの不安材料とされるのは、特徴のある教育をするところでは授業料が高くなる可能性があり、社会的な不平等を増進するのではないかということである。 私はかねてから、塾を学校と認めるべきだと主張しているのだが、私が塾に目覚めたのは、先に挙げた「T」の話を読んだことと、もう一つは創立時代のT学園の話を知ったときである。

このT学園の物語は現代教育に対する一つの重要なヒントを与えるものだと思う。 戦後の間もない頃、音楽の演奏活動をしている人たちが、音楽教育は早く始めなければならないという当たり前のことに気がついた。
そこで、子供のための音楽教室を開いた。 学校の校舎を借りて、1週間に一度くらい教えるというものだったが、それが子供の能力を伸ばすうえでたいへんに効果的であった。
これで不平等はかなり均される。 そして、バウチャーをたくさん集めるような学校はますます栄え、バウチャーを集められない学校は滅びる。
ここにもまた、教育を受ける者が主体であるという当然の教育の原則が明確に表れてくる。 そうすると今度は、せっかく伸びた子供たちも普通の高等学校に行けば音楽の能力の成長がとまってしまい、それでは惜しいということになった。
当時は音楽高等学校がなかったのだ。 とはいえ、自分たちで音楽高等学校をつくる力などない。
いろいろと考えた結果、T学園の責任者の理解を得て、T女子高校の一教室を間借りする形の「音楽コース」がつくられた。 そこは女子高校であるにもかかわらず、男子生徒も入ることができる。
たとえば、いま世界的な指揮者となっているK氏もT女子高校卒である。 そうした間借り高校であるため、賛沢な音楽室などあろうはずもない。

そこで、通常の高校生に求められる学科に関しては間借りの教室で行い、専門の音楽に関してはそれぞれの先生のところに行くこととなった。 チェロや指揮であれば、S先生の自宅に行く。
ピアノであればどこの先生、ヴァイオリンならどこの先生といった具合に、当時の日本を代表する一流の先生の家にレッスンの日を決めて通っていた。 課題はその先生から直接受ける。
謝礼も先生に直接払うという形式である。 つまり、間借りした学校の教室で行われたのは普通の授業である。
音楽の専門教育は全部学校外で行い、経済的な措置も学校とは直接関係ない。 これがまた、生徒たちの才能を伸ばすうえで絶大な効果をもたらし、高等学校時代から国際的にも認められる生徒が育つこととなった。
そうなってくると、このまま高等学校でとめているのは惜しいということになり、短期大学に昇格させることとなった。 短期大学が終わる頃になると、演奏家として国際的に通用しそうな人が続々出てきたので、さらにこれを4年制にした。
現在のT学園は4年制とは別に新しく短期大学もできているが、もともとは2年制の短大が延びて4年制になったものである。 こうして、間借りから始まったものが音楽大学になっていったのだが、音楽大学になると、先生は大学で教えなければならない、謝礼も生徒から直接受け取ってはならないといった「縛り」が出てくる。
そうすると、学校内に練習室などもつくらなければならないので膨大な維持費がかかる。 資金が必要になれば、どうしても生徒を増やさざるを得ない。
本当に音楽の才能がある人はそう多くいるわけではないので、生徒を増やそうとすれば必ず質が落ちる。 もちろん才能のある人も入学するにせよ、かつてのように粒が揃うといったことは必ずしも期待できなくなる。

このように、学校の設置基準であるとか、教授は学校で教えなければならないといった一見正論的な発想が、柔軟性を失わせるといった結果をもたらすことがある。 かつてのように専門の学科はすべて学校外の本当に実力のある先生のところで習う形式で続けることができたのなら、入学試験のレベルを下げることもなく、少数精鋭主義のまま、学校も経営的な心配をしないで済む体制が可能になったのではないかと思う。
では、いったいなぜ、「T」や、かつてのT学園のような形が日本に定着しなかったのであろうか。 これは、官僚統制的なもの、つまり規制によって教育ができると思っていたことが大きな原因だと私は考えている。
したがって、この問題を解決するには設置基準を取り払うこと、そして、その学校の教員の資格は設立者が認定すればよいこととする。 ただし、何を教えているかは公開する。
これを実施するだけでも、日本の教育は非常に明るくなると私は確信している。 また、われわれの教育基本法私案は、ほかに伝統教育の重視、立派な日本人になるという自覚、校長の権限の明確化など、様々な重要な内容が盛り込まれているが、いずれも設置基準と教員免許状をなくすことと深くつながってくる。
たとえば校長の権限の明確化は、校長先生がどんな教員を雇い、誰を断わるか、あるいはどういう契約で雇うかなど、すべてが校長先生の責任になるということだ。 校長先生のやり方が悪ければ経営者は校長先生を解雇する形になるため、責任も非常に明快になる。
いじめがあるような学校にすれば、その校長先生の責任であることが明瞭に出てくるのだから、一点の弁解の余地もなくなる。 伝統的な価値の尊重についても、塾でも学校でも選べるとなったときに、日本の歴史を真っ黒な暗黒時代のように教える学校や塾に子供を選んで通わせる価値観は、大部分の日本人にはないと思われる。
もっとも、「日本は真っ黒な歴史を持つ、世界に最も恥ずべき国である」という思想を持つ人たちが集まってつくる学校も、民主主義として認めざるを得ないし、その学校を選ぶ親も否定はしない。 ただ、少なくとも、その教育が現在の日教組のような全国的な組織で推し進められるような形にはならないに違いない。
私が、日本の歴史を真っ黒に教える学校は多くの支持を得ないと思う理由の一つは、英語の教科書でS氏のことを扱った部分が非常に生徒の関心を呼んでいるという話を聞いたことにある。 試験をしても、S氏の話のレッスンは、生徒の成績が必ずよいという。
これは、日本の青少年が日本のよい話を聞きたがっていることを真に暗示しているものではないか。 日本のよい話にみんなが感銘を受ける。
だから成績がよくなる。 これは非常に頼もしいことである。

青少年は自分の親のいい話を聞きたいのと同じような気持ちで、自分の国のいい話を聞きたいのである。 いかなる国でも、暗い面を探せば歴史を真っ黒にすることができる。
いま最も明るい民主主義の国と受けとめられているアメリカにしても、暗黒面からいえばインディアンの土地を奪い、ハワイの王室を潰し、スペインからフィリピンを強奪したといった歴史がある。 そうした部分にばかりウエイトをかければ、アメリカは泥棒の国であるという話になるだろう。
そんなことをアメリカ人が子供の学校で教えているわけはない。 アメリカ人が教えるのはアメリカの理想である。

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